2年以上の長い間、コロナ禍で私たちはマスク着用をほぼ義務付けられています。
それは大人が過ごしている場だけではなく、子どもが安心して過ごせる場所でもそうですよね。
あなたは気づかないかもしれませんし、マスク着用をほぼ義務付けている人々もまた気づいていないでしょう。
このマスクの着用の「努力義務」によって、お子さん、特に幼児のお子さんの成長が妨げられています。
このことは、私が実際に目の当たりにしている事実です。
どのようなことが起こっているのかを今日はあなたにお伝えしたいと思い、こうして記事を書いております。
ママさんが子育てをする環境を考えると、集団ではなく小集団、あるいは一人の子どもと接することになります。
そのため、一般的な発達を他のお子さんと比較する、という機会が大変少ないですし、また比較する人数も限られてしまいます。
しかも、今のコロナ禍の影響で、保護者が幼稚園や保育園に足を運ぶ機会がグッと減ってしまっていますから、幼児期の発達の専門家でない保護者の方は、我が子と他のお子さんとの発達の比較ができないので、我が子の発達の遅れや心配に気付きづらくなってしまっているのです。
まず、ここで保護者による発達の機会の見落としが発生してしまうのです。
もちろん、この「見落とし」を責めているわけではありません。コロナ禍での社会のあり方がこういう些細な、でも大変重要なことに対して非常に大きな代償を払っているということに気づいてほしいのです。
前置きが長くなってしまいましたが、今回は「マスク装着努力義務」が与えてきたお子さんの発達の影響について、あなたと一緒に考えていきたいです。
コミュニケーションへの影響
幼い子どもにとって、毎日の何気ないこと、何気ない時間、目を覚ましている時の全てが学びになります。
「学習」する学びもあれば、「体得」する学び、「体感」する学び、「感情」を感じる学びなどなど、その種類は様々です。
日本的に言えば「しつけ」だけが子どもの学びではないのです。
マスクを身につけ続けることで、子ども自身が誰も気づかない間に発達の機会を失っていることがあります。
その一つが、顔の表情を作ることだと私は考えています。
子どもたちはマスクを外すと、何とも明るい表情を浮かべているのですが、コロナ禍前と比べて、明らかに表情が鈍い感じがするのです。
子どもはもっと自由に、もっとダイナミックに顔の表情を作り、自分の感情とリンクさせること、そしてその全てを積み重ねることが大事だと私は思っています。
でも、マスクを身につけているとどうでしょう。
表情を作る際にマスクが邪魔になってしまい、子どもが目一杯の表情を作ることが難しくなってしまいます。
つまり、子どもが目一杯、自分の感情を解放することが大変難しい現状があるのです。
そして、そんな目一杯の表情を目の当たりにする相手のリアクションも十分に受け取ることが難しくなってしまいます。
それは、相手もまたマスクを身につけているからです。
子どもはもちろん、相手の表情の半分以上を読み取ることができません。相手の目と眉、そして溢れ出る雰囲気や声色などでのコミュニケーションになってしまうのです。
私は、発達障害のお子さんと接する時、顔の表情に細心の注意を払って接する時があります。
今はそれもまた難しくなってしまっているので、それだけでも「教える際の不自由」を感じております。
言葉の発達への影響
子どもは、家族以外の人物の口元を見る機会がほとんどありません。それがマスク着用時代なのです。
テレビやYouTubeなど、画面上の人物の顔はマスクなしの方が多いのでしょうが、それはあくまでも平面です。
幼稚園や保育園の先生は、言葉を覚え始めたり、言葉をどのように使えば相手に伝わるのかを学んだ利する時期のお子さんたちの身近な大人の一人です。
その大人たちがマクスを身につけて子どもたちに声をかけています。
大人が話している様子を見て、子どもたちは言葉を獲得していきます。
その獲得の機会を奪われているのです。
実はこういうことがありました。
園に入園してきたAさん。Aさんが日常生活を営んでいる環境には、少しの日本語を話す人はいるものの、日本人は園の先生たちだけ。
園では日本語ですし、小学校も日本の公立学校へ就学予定ですので、日本語は大切なスキルなのです。
園の先生たちは、Aさんの言葉を上手に聞き取っていました。というのも、Aさん自身が日本語がどんどん上手になっていったからなのです。
しかし、Aさんの言葉をよーーーく聞いてみると、誤学習したと思われる言葉がたくさんでした💧
ここでは「Aさん」と表記しているので、特定の個人だとあなたは思われるかもしれません。
あなたの勘は鋭いですね(^^)
でも、実は特定の個人ではなく、何人もそういうお子さんがいらっしゃるのです。
そして、よく考えれば、Aさんのようなお子さんだけではなく、幼児期のお子さんにとっても同じです。
ですから、今、たとえあなたのお子さんに心配がないとしても、この事態を非常に重く見る必要があるのです。
「従う」のが当たり前
発達障害のお子さんは、自分の信念に正直で素直に生きていける、というところが私にとっては魅力に感じる一つのことです。
でも、このコロナ禍の「マスク着用努力義務」のおかげで、最初はあんなにも抵抗をしていたマスクを、今では毎日身につけられるようになっているなんて、正直、怖いことだなって思っています。(もちろん、何の抵抗もなくマスクを身につけることができるお子さんもいらっしゃいます。)
どうして私が「怖い」と感じるのか、というと、それは保護者の方や指導者の方など、大人の姿勢にあるのです。
どうしてかというと、これまでは将来に必要な何かしらのスキルを教えようとしても、相当な苦労をして、その上、その努力がなかなか叶わなかったいたみなさん。
それが、「マスク装着」という新たで、かつ、はっきりとした目標が目の前にあるだけで、「マスク着用」をできるようにしようと、何が何でも精神で付き合っていらしたのだと思います。
そんながむしゃら精神を持つことができたあなた自身に、どれほどの人が気づいているのでしょう。
この心がけさえあれば、これまで苦戦し続けてきたお子さんへの教えに対してもあなたは向かっていけるのです。
その事実に気づいていない大人が多いのではないかな?とそう思うのです。
発達障害のお子さんは「教えにくい子」「育てにくい子」と言われていますから・・・。
それから、マスク装着努力義務により、心が疲弊し過ぎているママさんも多いことだと思います。
買い物一つにしても、建物の中に入る時には「マスクの着用」が強制されています。
厚労省としてはマスク着用はあくまで努力義務(表現の仕方は違いますが)であるとしていますが、いざ世間一般になると、それが「義務」に変わってしまっています。
正しい情報を得ようとしない人々のにわか知識のおかげで、マクス装着が義務になっているのです。
発達障害のあるお子さんの子育てをなさっているママさん、パパさんたちは、ただでさえ社会的マイノリティ。生きづらさを十分すぎるほど抱えているのです。
それなのにまたここで生きづらさが上乗せされてしまい、それはそれは、相当な負担だろうと私は思うのです。
一部の、ではあると思いますが、お子さんもママさんも、メンタルを保つだけで精一杯なのだろうと、そのように私は想像しております。
私に何ができるのか、もっともっと思いついて、また記事にしていきますね。
今日も最後までお読みいただきまして、どうもありがとうございました。