「福祉慣れ」に気をつけたサポートを心がけるということ。

福祉慣れ

私は、高校2年性の頃から「障害者福祉」に携わってきました。

「携わる」といってもそんなに本格的なものではなく、興味関心の域を出ないくらいです。

障害者福祉について触れ始めた頃の私は、障害のある大人の人でさえ「何か助けることをしなくては」と、助けることだけを考えていたように思います。

そもそも、高校生の私には「福祉=人を助ける」という認識でいましたので・・・。とても傲慢な考え方だったと今ではそう思っています。

 

そういえば「障害とは何か」ということについては、たくさんの時間をかけて考えていた割に「福祉とは何か」ということについては、これまであまり考えたことがないかもしれません。

元教員で今もなお学校教育に携わっている私は「教育とは何か」という問いもまた自分に与え続けています。
私は教育を「文化の継承」だと思っています。
人として生きるとはどのようなことなのかを、自分と同じ時代に生きている人々と共有したり、思考したり、教授したり、享受したり。こんなワクワクな営みの中に、キラキラの成長の星がたくさん詰まっているのですから、教育って面白いです🎵

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高校生の頃の私は、将来は障害者福祉を目指していこうとしていましたが、いつの間にか教育の道に軌道修正しました。だからこそ「福祉とは何か」ということについての自問自答はおいてけぼりになってしまったのだと思います。

ただ、やはり障害についての学びをおいてけぼりにはできない私がいました。
教員になってからは、民間団体が開催するセミナーにも足を運んだものです。
教員研修には、障害についての研修会もあるのですが、私が手に入れたい情報を入手することができなかったからこそ、民間団体のセミナーにも参加していたのです。

 

教職について4年目の時、私は希望を出して小学校の特別支援学級に赴任することが叶いました。

教員の移動に関しては、希望を出せるものの、その希望がどの程度叶うなどうかは運次第のところがあります。

私は、運が良かったようで、出した希望のほぼ100%が叶ったような気がしました。

 

さらに私の強運がよくはたらいてくれたできごとがあります。
それは、異動先の特別支援学級で、「子どもを教え育てる」という純粋な意味での教育をなさっている人物に出逢えたことです。私は彼を「師匠」だと思っています。

その師匠が私に教えてくださったことがが「福祉慣れ」ということです。

この「福祉慣れ」というのは師匠の言葉ではなく、私の造語ですのであしからず。

 

師匠が私に「福祉慣れ」を教えてくださったきっかけは、以下のできごとです。

区内の小学校に設置されている特別支援学級(固定級)に在籍している高学年の児童は、年に一度、合同の宿泊学習に参加します。

その打ち合わせに私が行った時、ある学校の先生が「シャンプーやボディーソープは学校で購入するから忘れ物の心配がない」とおっしゃっていました。

私はそれは良い考えだと思って、早速そのことを採用しました。

数日後、私が宿泊学習の資料を作成し、それを師匠に見ていただきました。

その際に「シャンプーとボディーソープが抜けている」と指摘してくださいました。

何も疑問に思っていない私は「◯◯小学校では学校で用意するそうで、そっちの方が良いと思って、私たちが用意することにした」と伝えました。

そうしたら師匠の顔が曇っていきました。そして私にこのような言葉をかけてくださいました。

「(学校に)やってもらうことがあると、『やってもらえるんだ』という発想になる。そしてそれが続くと『やってもらうのが当たり前』という考え方に気づかないうちになってしまう。」

私はすぐにこの言葉の意味が分かり、すごく反省したのを覚えています。

定型発達のお子さんのご家庭なら、当たり前のようにしていることでも、福祉のサポートが入ることで、支援されることが当たり前になってしまいます。それは、社会的サポートとしては必要なことですが、考え方として「サポートされて当たり前」では、社会的自立が望めなくなってしまう可能性があります。

例えば、テーマパークの入場料で考えてみましょう。障害者手帳があれば「障害者割引」を利用してテーマパークで過ごすための入園料などが割引になります。

でも、手帳がない人たちは、割引料金ではなく、正規の値段をお支払いします。

割引されているのは「障害があるから当たり前」という思考になってしまうと、「当たり前」思考をしている本人が社会(のルール)から逸脱し続けてしまうことになります。

でも、これが「社会的に保障されている権利」として考えているのだったらどうでしょう。このような思考をすることは「社会」が前提にあるので、社会から逸脱することはありません。

 

要するに、この「福祉的保障」を「障害があるから」と捉えるのか、それとも「権利」として捉えるのかで、利用する本人や保護者様がどれだけ社会の中で生きていこうとしているのかが決まっているような気がするのです。

 

ですから「障害があるから」「分からないから」という前に、「社会的にはどのように考えれば良いのか」ということをまずは考えることがものすごく大切だと思うのです。

 

 

「福祉慣れ」というのは、「サポートされるのが当たり前」という発想が根強くあるから起こってしまうのだと思います。

ですから、私ができることは、この「福祉慣れ」の状況をいかに作らないようにするか、ということです。

福祉を受けていてもいなくても「福祉慣れ」は起きると思います。
例えば、無料でいただいたものにケチをつける、ということも「福祉慣れ」と同じだと私は思います。「もっと良いものをよこせ!」ということになりますよね。相手だけに努力を求めているからこその言い分だと思います。

 

 

今日はここまでにしますね。

最後までお読みいただきまして、どうもありがとうございました。